「佐賀の職人の腕を見せてやりたい」とゼロ戦の復元に力を注ぐ馬場さん=神埼町の「馬場ボデー」



 佐賀商高出身のプロ野球投手石丸進一をモデルにした映画「人間の翼」。そのロケで使われた戦闘機「ゼロ戦」が、神埼町の職人の手で製作されている。全長10メートル、両翼幅12メートル。復元機としては珍しいジュラルミン製の実物大で、エンジン代わりの発動機も搭載。「石丸が飛んだゼロ戦を、平和と日本技術の象徴として残したい」。機体には映画制作に携わった人たちの祈りが込められている。
 
 

■日本の魂

馬場さんが6年の年月をかけ建造したエッフェル塔。水田の緑に紺ぺきの塔が映える

 上映から10年、戦後60年の節目に映画制作者が復元を計画。昨年4月、同町尾崎で板金塗装業を営む馬場憲治さん(56)が依頼を受けた。「最初は単なる大道具としか考えていなかったが、ゼロ戦は日本の魂。やらせてくれと逆にお願いした。佐賀の職人の腕を見せてやりたい」
 
自社工場にミニエッフェル塔を建造するなど、「異色、多才な職人」として名が知られる。26種の国家資格を取得。全国でもまれな、板金、塗装、塗料の1級技能士と2級自動車整備士の免許を併せ持つ。

 発明家、現代アート作家、時には山伏、陸上競技の選手としても活躍。45度の登坂能力を持つ「階段昇降車いす」で国際特許を取り、日仏現代美術展ではスプレー画で入選、アジアマスターズ陸上・棒高跳びでは金メダルまで手にした。

 そんな馬場さんを職人へと導いたのは、14年前にこの世を去った父初夫さんだ。元海軍の工作兵でゼロ戦の整備にも携わっていた。父の13回忌の年に舞い込んできた依頼。「戦死者らが損しないような世の中に」と言い残した父が、巡り合わせたかのようだった。父の腕には最後まで追いつけなかったが、「受け継いだ技術で、いい供養に」と誓った。

 エッフェル塔建造から23年ぶりの大仕事。工場に泊まり込む日々が始まった矢先、福岡県の元兵士らで組織する「ゼロ戦会」のメンバーが血相を変えて飛んできた。

 「ゼロ戦の製造は最高の腕を持った者だけの仕事であり、なめるなと言わんばかりだった。言葉で説明しても無理。彼らには腕と心意気で気持ちを伝えるしかなかった」。鉄板を持ち出し、ゼロ戦の主要部となるプロペラスピン作りに挑戦。設計図は頭の中。たたき、伸ばし、絞りの技を見せつけ、短時間で1ミリの狂いもなく仕上げた。

 さらに得意のトランペットで、特攻隊員が口ずさんだ「海ゆかば」を演奏。するとメンバー8人は直立不動で涙を流しながら「けがせんように頑張って」と言い残し去っていった。後日、工場に当時の設計図が届いた。送り主は「ゼロ戦会」。実物通りに仕上げる上で何よりの贈り物となった。

 

■郷土愛人一倍

 
操縦席の計器類も当時の設計図をもとに細かく再現している

 佐賀実業高(現佐賀学園高)卒業後に経験した、5年間の修業時代が今を支えている。父の勧めで福岡県の車体メーカーに入社。3年間はひたすら鉄板打ちに明け暮れた。「鉄はまるで生き物。たたく音の微妙な違いが完成品を左右させる。今でも単純な作業ほど難しく、燃える。アート感覚も必要で、どれが欠けても一級品にはならない」と魅力を語る。
 
  「こんちくしょう」が口癖で、郷土愛も人一倍。「佐賀でもやれる」という気迫がパワーの源だ。23年前にエッフェル塔を建てたのも「佐賀には何もない」との声を、自らの腕で見返したかったからだ。今でも壁にぶつかり挫折しかける時がある。その時は、ロック歌手矢沢永吉の生きざまを描いた『成りあがり』を読み返す。

 「佐賀だからといって何のハンディもない。むしろうまい空気が吸えることが一番の特権。そんな環境だからアイデアも闘志もわくんです」

 ゼロ戦は現在、8割が出来上がり、完成後は県民の目に触れる場所に展示する予定だ。あくなき「夢追い人」は、きょうも反骨心という金づちを手に鉄板をたたき続ける。






 

 

◇ミニエッフェル塔◇

 パリの夜明け。朝霧とともに浮かび出てきたエッフェル塔。その姿に魅了された馬場さんが1982年、自社工場に約6年の年月と約1,700万円の費用をかけ建造した。
 実物の20分の1で高さ22メートル。紺ぺきの塔が、周囲を彩る緑とマッチし絶妙のコントラストを奏でている。反り気味に設計された支柱の工作、溶接、サビを浮かせない塗装など忠実に再現。電飾もほどこしている。
 パリにある実物は、フランス革命100周年を記念し、1889年に開かれた万国博覧会のため建造された。名称は設計者のギュスターヴ・エッフェルに由来。建設当時の高さは約310メートルで、現在は放送用アンテナが設置されたため、約320メートル。水圧エレベーターなど基本構造は今でも現役。大阪府の初代通天閣のモデルにもなった。