〜(7)綾部のぼたもち〜 800年伝わる参道の味


たっぷりと餡がまぶされたぼたもち。素朴な甘みに会話も弾む

 一口大の餅(もち)の上にたっぷりとまぶしたつややかな餡(あん)。ほお張ると口いっぱいにこくのある甘みが広がる。中原町綾部神社の参道で売られる綾部のぼたもちは、食べると幸福をもたらすと言われ、地元はもとより県外にもファンは多い。

 その起源は古く、約八百年前の鎌倉時代までさかのぼる。源頼朝が奥州の藤原氏を征伐したとき当時の綾部城主綾部四郎大夫通俊が従軍。戦功をたて凱旋(がいせん)した際に、祝いもちとして兵士に振る舞ったのが始まりと言い伝えられている。

■夏の風物詩

 綾部のぼたもちが一年中食べられるようになったのは、意外にも最近のこと。現在国道31号沿いに店を構える泉屋が参道から移転した一九八八年。会社勤めをやめた店主井上光好さんが年間を通して販売し始めたのがきっかけだ。

柔らかめについた餡から、一口大にひねり出され、次々に丸められる。餡をまぶすのも手作業だ

 それまでのぼたもちは、綾部神社の神木の大イチョウに旗を掲げ、その巻き具合で天候を占う「旗上げ神事」に合わせて七―九月だけ売られる夏の風物詩だった。日本最古の天気予報ともいわれるこの神事は九五一年が始まりとされ、五穀豊穣(ほうじょう)を祈る農民たちが遠方から多く訪れたという。参道には干した鱈(たら)と豆腐を煮付けた名物料理を出す店が立ち並び、参拝客はおみやげにぼたもちを持ち帰った。

 「お祭りになると着物を着た女性やかんかん帽をかぶった男性が参道をぞろぞろ歩いて、本当ににぎやかだった」と綾部神社の近くに住む女性(82)は懐かしそうに振り返る。

 しかし第二次世界大戦で参道の姿も変わった。十数軒あったぼたもち屋も、復活したのはわずか五軒。後継者が減ったこともあり、十年ほど前から泉屋、喜久屋、橋本屋の三軒だけで営業を続けている。

 どの店でも餅を一口大に丸め、餡を塗る工程は変わらず手仕事だ。手のひらから一口大の餅が、生まれるようにひねり出される。餡に一度くぐらせるのは離れやすくするためだ。パックに詰められ、上にたっぷりと餡がまぶせられる。

■微妙な塩加減

神社の山頂から綾部地区を望む。参道沿いに立ち並んだ家々から昔のにぎわいがうかがえる

 泉屋のコンロに火が入るのは毎朝午前五時。粘りにこだわった県産もち米と上質の小豆を同時に炊き始める。丁寧にアクをとりながら約一時間半。柔らかくなった小豆を二時間ほどかけて練り上げる。「火力が強すぎるとしっとり感が無くなる」と井上さん。根気強く時間をかける。

 かき混ぜる作業が機械化されても、出来上がりを左右する火加減はやはり人の仕事だ。餅にからみつく餡の適度な硬さを確かめるのも長年の経験。すくい上げた感覚でわかるという。出来上がった餡は一日寝かす。

 素朴さを感じる豊かな甘みは砂糖と塩だけ。「微妙な塩加減で味が変わる。だからこそ三軒ともそれぞれの味なんです」と現在も、参道で味を受け継ぐ喜久屋の店主は胸を張る。

 「戦前はお祭りだけが楽しみだったから」―。くだんの女性は話す。農業を生業とする人が減り、娯楽が多様化した現在でもかき入れ時は夏。狭い参道はぼたもちを買い求める客で込み合う。
(文・田中敬子 写真・中島克彦)


=メモ=
〈旗上げ神事〉

 旗上げ神事は毎年七月十五日から始まる。麻の旗をくくりつけた十八bの竹竿(さお)を境内のイチョウに掲げ、旗の巻き方で天候を占い豊作を祈願する。秋分の翌日の旗下ろし神事まで宮司が朝夕二回観察。「右巻きは雨の兆し」など三十二通りの巻き方を参考に占うという。神事開催中の三カ月は綾部神社が最もにぎわう。

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