〜(23)竹崎カニ〜 美味の理由は有明海育ち


県内外から多くの食通が足を運ぶカニ料理。テーブルにゆで上がったばかりのカニが並ぶ=太良町大浦竹崎の龍宮かに荘

 県最南端で、有明海に浮かぶひょうたん島・竹崎島。太良町の道越地区と数メートルの小さな橋でつながり、島と気づく人はそういない。ひょうたんのくびれに位置する竹崎港は、数十万年前の火山の噴火口跡という。

 現在では赤くゆで上がったカニと温泉で知られ、年平均二十三万人が訪れる観光地。大手旅行代理店が二〇〇〇年に九州居住者に実施した調査で、「地元の味を楽しめる温泉地」として大分県の湯布院や熊本県の黒川を押さえてトップ。旅行雑誌の昨年のアンケートでも「もう一度行きたい観光地」の県内一位を飾った。竹崎カニの評価は高い。

 人を引きつけてやまない竹崎カニは「ガザミ」と呼ばれるワタリガニの一種だ。有明海の干満の差で、太陽の恵みを浴びたプランクトンや小動物を食べるのが、おいしさの理由とされる。

 カニ漁は大正時代から流し網で捕っていたが、一九三八(昭和十三)年ごろ、竹崎漁民が瀬戸内海からカニ籠(かご)を導入し道越にも普及した。漁獲量も上がり、大牟田市などに船で運んでいた。

■夏場しのぎ

 地元でカニ料理を最初に出したのは、戦後間もなく祐徳バス会社が竹崎に開業したカニ料理専門店「聚楽荘」。支配人は龍宮かに荘社長の石田重幸さん(73)の亡き父・仁一さんで、「籠をかついで諫早の辺りまで売りに歩く漁師を見かねた父が、何とか地元でさばけないかと発案した」と回想する。当時から食通が博多など遠方から来ていたという。

沸騰した湯の中にカニを入れる

 その後、同業者が続いたが、カニ漁が夏に集中し、冬が休業状態となることから「聚楽荘」など数軒が廃業となった。「冬は潜水漁(タイラギ)で忙しく、カニは”夏場しのぎ”だった」。竹崎で約六十年漁に出ている木下正美さん(73)の言葉と重なる。

 カニの漁獲量は一九五五(昭和三十)年から年々減少した。木下さんは「エビも捕れず、海が汚れてきた」と当時を振り返る。だが竹崎カニの美味は口コミで広がった。県外のデパートでカニをゆでるなどのPRも始め、七〇年代には漁師や仲買人から旅館業を始める人が続いた。

 現在は竹崎・道越一帯に十二軒の旅館がある。一九九五(平成七)年には旅館が共同で温泉掘削に成功し、観光地としての魅力を増した。

■漁獲量の確保へ

 それでもカニが中心。関係者はタイラギが四年連続で休漁するなど近年の有明海異変に気をもむ。安定した漁獲量の確保のために地元の大浦漁協は、県の協力を得て一九八〇(昭和五五)年から稚ガニの放流を始めた。その後、栽培漁業センターをつくり、ここ数年は七百万匹前後を放流している。

 だが海の状況によって漁獲量は増減する。同漁協の水産振興研究部長の原田浩治さん(41)は「漁獲量の底上げに役立っていると信じている。自分たちにできることをするしかない」と語る。同センターでは、稚ガニの生存率を高めるため、二年前から中間育成に挑戦している。


(文・宮崎勝 写真・藤瀬福身)

漁船が並ぶ竹崎港=太良町大浦


=メモ=
〈稚ガニの中間育成〉

 ガザミは一度に二百万粒以上を産卵するが、幼生期は共食いで脱皮のたびに半減。しかも小さな稚ガニを放流すると浮遊し、魚に食べられる。

 「中間育成」は脱皮を二回(十ミリ前後)、三回(十五ミリ前後)繰り返し、海底に沈む大きさまで育てる。大浦漁協栽培漁業センターでは、水槽に網などで"隠れ家"を設けて共食いを防止し、減少率を抑えている。

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