さがシネマ紀行
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1「水の旅人 侍KIDS」1993年公開−佐賀市富士町
 ■水に沈む日本の原風景−監督の思いせりふに
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映画の舞台となった畑瀬橋から嘉瀬川の流れを見つめる畑瀬秀司さん。清流は昔のままだが、一帯はいずれダムの底に沈むことになる=佐賀市富士町東畑瀬

 「うちの縁に座って、大林(宣彦)監督がいいなぁー、いいなぁーと何度もつぶやいていました」。映画「水の旅人 侍KIDS」のロケが行われた佐賀市富士町東畑瀬。明治期に建てられた屋敷を撮影のため提供した畑瀬ルリ子さん(69)は、懐かしそうに振り返った。

 東畑瀬は「水の旅人」と「男はつらいよ ぼくの伯父さん」と2つの映画のロケ地に選ばれた県内でも珍しい場所だ。清流を挟んで山沿いに古い民家が張り付く、日本のふるさとの「原風景」といえるような美しい山村。町おこしにと若者たちが始めた古湯映画祭の取り持つ縁で、ゲストとして訪れた映像派の2人がこの風景にほれ込み、カメラを回した。

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  映画は、一寸法師のような武士(山崎努)に出会った小学生の悟が川を上流までたどり、水の大切さを知るというストーリー。東畑瀬は、悟の祖父母が暮らす田舎として登場する。地区はダムの水没予定地、この風景がいずれ失われると知って、大林監督が深い感慨にとらわれたのは間違いない。

 帰省してきた悟一家の車が橋で村人の葬列と出くわすシーン。車に駆け寄った村人(ベンガル)が「ばあさん、96でした。100までと思っていたが、村が水の底に沈むのを見ないで済んで、よかったと思う」。原作(「雨の旅人」末谷真澄著)にないせりふが特別に織り込まれている。  撮影当時、地区は水没する家屋や土地の補償額の交渉中。移転はもう少し先という時期で集落は昔と変わらぬ静けさに包まれていた。そこに、大型バスが連日、3台も4台も道路に並び、田舎の味わいある地区のあちこちで撮影を重ねた。

 「わが家でロケがあるというんで親類もみんなやって来て、本当に楽しかった」。水没地はつかの間、にぎわった。

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急ピッチでダム関連の工事が進む東畑瀬地区。かつてここに集落があったとは思えない。左下に小さく畑瀬橋が見える。その右隣には工事用の鉄骨の橋がかかる。
  あれから13年、畑瀬さんは佐賀市大和町の集団移転地に暮らしていた。「本当に便利で、もう昔を思い出すこともないねぇ」。そう話す、エキストラで葬列の先頭を務めたご主人の秀司さん(78)に同行を願い、ロケ地へ向かった。

  東畑瀬は今、ダムの湖畔を走ることになる道路工事の真っ最中。山が丸ごと削られ、巨大トラックが土ぼこりを上げ、せわしく坂道を上下する。自宅があったのは砕石プラントの置かれたあたりと指さしながら、畑瀬さんは「ここに30戸も家があったとはとても思えんですね。いい意味でなく、感無量です」。確かにかつての風景はもう全く思い描けない。現在のこの光景も、いずれ青い水に覆われ忘れ去られるのだろう。

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落ち着いたたたずまいの集落で、出演者に演技指導する大林宣彦監督(左から2人目)。ちょうど雪が積もり、急きょ映像に取り入れた=1993年2月9日
  映画ではラスト、武士が水源の清らかな水に体を投げ、若武者としてよみがえり、再び川を下る旅に出る。自然の“永遠の命”をたたえ、環境を守る大切さを訴えている。同じフィルムに東畑瀬の美しい風景も永遠に刻んでいる。失われたその風景は今後、どんな思いで見られるのだろうか。  文・宮里 光  写真・小山則幸
メモ
 

『水の旅人』

監督=大林宣彦
制作=フジテレビ、オフィス・トゥー・ワン、東宝
出演=山崎努、吉田亮、原田知世、風吹ジュン、岸部一徳
 現代っ子の小学生、悟は川に落ちたボールを拾おうとして、一寸法師のような武士を見つけ持ち帰る。武士は悟に、自然の声に耳を傾けること、勇気を持つ大切さなどを教える。ある日、キャンプに出かけ川で遊んでいた悟はがけ崩れで帰れなくなり、武士が助けてくれる。
  佐賀市富士町のほか、佐賀市柳町の八坂神社、今宿の水路などでロケが行われた。
  主人公が身長17センチという設定のため、全編の8割がハイビジョンの合成映像というSFXファンタジー冒険映画となっている。
 
 
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