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人を熱狂させる同じ長距離走でも、何人ものランナーが走り継ぐ駅伝は、日本の飛脚制度が原点とされている。 江戸時代。参勤交代による街道文化が花咲いたそこには、手紙や金銭、荷物を担いで届ける「飛脚」と呼ばれる伝達システムが出来上がり、宿駅ごとに常駐していた韋駄天(いだてん)たちによってリレーされたのだ。これが走り継ぐ長距離走・駅伝の原形である。
早春の肥前路を駆け抜ける県内一周駅伝。鍛え抜かれたしなやかな体が冷たい風を切っていく。したたる汗、地面を蹴(け)る足の音。沿道の声。ふるさとの誇りを一本のたすきに託した駅伝は、ファンならずとも熱狂させてしまう。
舞台は第15回大会(1975年)。福岡大4年で、既にモントリオール五輪の強化選手となっていた喜多。3年ぶりの県内一周出場とあって、どんな走りを見せてくれるのか、注目の的だった。 大会初日、各チームのエースが揃(そろ)った最長区、鹿島|嬉野(15.6キロ)の鹿島中継所に、満を持し、リラックスした藤津郡代表の喜多がいた。トップでたすきを受けたのは地元・鹿島市のエース松尾正雄(九電工)。続いて優勝候補、佐賀市の花田健児(佐賀市役所)。2人に遅れて、いよいよ喜多がたすきをつかんで飛び出した。花田と1分29秒、松尾とは2分36秒、距離にして1キロ近い差である。
とても破られないだろうと思われていた三原市郎(白石高陸上部監督)が前年打ち立てた区間記録をあっさり塗り替える46分58秒の快走。県のトップランナーだった花田、松尾をして「格が違う」と言わしめた喜多のその後の活躍はだれもが知るところである。
有田が誇る往年のランナー松尾一、岩永寿久らの顔もあった。有田支局で出会ったこの仲間たちが走る楽しさ、駅伝の面白さを教えてくれた。今は大半が現役を退き、チームのコーチ、監督や大会役員として頑張っている。? 情熱の韋駄天たちが繰り広げる感動とドラマが今から楽しみである。 |
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